東日本大震災でトンネルに閉じ込められて

車掌さんからの「東北地方が壊滅状態」というアナウンス後、家族への遺書を書いた私でしたが、その次にとった行動は、阪神淡路大震災の教訓で常にお財布にいれておいたテレフォンカードを手に、車内電話に向かい、会社に電話をかけたことでした。

阪神淡路大震災の時、携帯電話が繋がらなくなった後も、公衆電話なら繋がったという経験があったので、私はいざというときの為に、いまでは化石となった感のあるテレフォンカードを常に持ち歩いていました。しかしながら、すでに東京にも電話が繋がらないという状況でした。

この時、この車内の電話が繋がらなくなったと思い込んでしまった私は、大阪の家族に電話をすることもなく席に戻ってしまったのでしたが、繋がらなかったのは、東北同様大きな地震に見舞われた東京だけだったようで、東京より西は電話が繋がったというのを座席に戻り、隣の席に座っていた広島から新幹線を乗り継ぎ出張先に向かっていた男性から聞きました。

その後、長期戦にそなえ、飲み水の確保は必要だと思い、車内販売用のカートを探し出し、お水を手に入れることに成功しました。

すでに誰かが何かを持っていったようで、カートの上に小銭が置かれていて、

「お弁当を売ってくれ!」

「賞味期限の問題があり、お売りすることはできません。」

食べ物の確保をすでに検討していた人もいたようで、暗い車内のどこかから乗客と車掌さんの言い争う声が聞こえてきました。しかしながら、商品の略奪などなく、スナック菓子や飲み物などは、カートに残っており、私も前者にならい、代金をカートの上に置いて自分の座席に戻っていきました。

 

救援物資到着

夜の10時過ぎに、八戸駅からお弁当とお茶が届き、やっと食事にありつくことができました。ご飯の形が新幹線になったお弁当でしたが、本当に美味しかったのを今でも覚えています。

そして、各車両2個ずつの懐中電灯も支給されました。一番前と後ろの荷物棚に乗せられ、少しだけ明るくなった車内でした。

停車当初、点灯していた非常灯も、外部との通話用の電力確保の為、消灯しますというアナウンスがあり、車内は夕方以降真っ暗闇となっていて、トンネル内での停電ということで、本当に真っ暗闇で、目が慣れても全く何も見えないという状況でした。一体その間私はどうして時間を過ごしていたのかという記憶が全くありません。

そんな真っ暗闇の中、車掌さんが懐中電灯を手に、何度も車両を往復し、現状の説明をしてくれていましたが、誰も質問することもなく、いつも静かに車掌さんのお話に耳を傾けている状況でした。

本当に東北の人は静かで我慢強い。とこの時にしみじみ思いました。これが東海道新幹線の大阪行きの車中であったなら、もう大変!

絶対に皆口々に色々話しかけて収集つかない状況になってるんじゃないかと、大阪人の私はひそかに思っていました。が、何回目かの説明の後、とうとうたまりかねて質問をしてみました。

「大地震で大変な状況の中、車掌さんをはじめJRの方々が一生懸命やってくださっているのは、重々承知しているのですが、この新幹線の乗客が今後どうなるのか目処など立っていないのでしょうか?」

背の高い車掌さんでしたが、座席の横に来てくれて目の高さが同じになるように、膝を折り曲げ、ゆっくり説明してくれました。結局車内にいる車掌さんも具体的な事項をつかんでいる様子でもなく、ただひたすら落ち着いた口調で、対処しているというようなことを話されていました。

新幹線の乗客がパニックにならないよう大変配慮された立派な対応だったと思います。

そんな私達二人の会話を車内の皆が固唾をのんで、聞き入っている様子が気配でわかりました。そんな中、カメラのフラッシュがたかれ、私達二人の写真を何枚も撮っている女性がいました。

どこかの報道関係者なのかなと思うくらい凄くいいカメラを首からさげた女性でした。のちに避難所に行ってから、彼女は、中国から団体旅行で東北の温泉に向かう途中だったということを知りました。他にも北欧から旅行で来ていた小さな子供がいる一家もいました。

言葉も通じない海外で、こんな体験をしてさぞかし不安だったかと思います。

とにかく、夜に救援物資が届いたということで、トンネルの外には出られそうだということがわかり、夜は体力温存の為、できるだけ眠るようにしました。

揺れもなく真っ暗闇、おまけに、トンネル内ということで、魔法瓶状態で、暖房で暖められていた空気がそのまま保たれ、コートなしで過ごせるほど快適で、目覚めたら、朝の6時でした。どうやら食事後、ぐっすり眠ってしまったようでした。

相変わらず、車中は真っ暗でしたが、トイレに行く為、携帯電話のライトを明かり代わりに、トイレのある車両後方に向かって歩きだし、後部座席付近にたどり着くと、ツンと鼻をつくアンモニア臭が漂ってきました。車両後方の人達は、きっと眠れなかっただろうなと気の毒に思いました。

そして、車両後部のドアを開けると足下が明かりで照らされ、その明かりの元を見ると、一人の青年が懐中電灯を持ち、私の足下を照らしてくれていました。その青年は、トイレに入ろうとする私に懐中電灯をそっと手渡してくれました。

2個支給された懐中電灯の一つを手に、一晩中その青年はトイレにくる人達の足下を照らし、トイレに入る前に、懐中電灯を手渡していたのでした。

東北の青年でした。

東日本大震災があった3月11日は、金曜日で、週末ということもあり、地元東北に帰省中の人達が多くいたようで、その中の一人の青年が

「どうせ座席では、狭くて眠れないので、ここで一晩、懐中電灯を持って立っていました。」

と話してくれました。最前列の私の座席から通路を挟んで2列ほど後ろの通路側で、体格のいい男性の隣に座っていた青年でした。

そして、遂に、JRによる新幹線乗客の救助が開始されました。

つづく。