東北地方を襲った大地震、あの時、あの場所にいた人々は何をしたのか?

東日本大震災が起きた2011年3月11日のちょうどその瞬間。

私はその前年に全線開通したばかりの東北新幹線に乗車し、出張先の秋田県に向かっている最中でした。大地震があったちょうどその瞬間、青森県の八戸駅手前の30数キロほどのトンネルの中にいたため、停電し真っ暗闇となった車中に、20時間以上閉じ込められ、そして、救助後見知らぬ土地の避難所でお世話になるという体験をしました。

東日本大震災の瞬間

あともう少しで青森県の八戸駅に到着するなとトンネル内を走る車中で、翌日のセミナー開催の為の資料に目を通しながらぼんやりと考えていたとき、新幹線が緩やかに減速し、やがて完全に停止し、非常灯を残し停電となりました。

最前列の通路側に座っていた私は、前の車両をのぞき込み、全車停電となっているのを確認しました。開通したばかりの新幹線だし、何かトラブルが発生したのだろうと、のんきに構えていました。実際、第一報のアナウンスは、「電気系統の故障の為、停止しました。」ということで、続き「線路の点検をしています。」というものでした。

もう少しすれば動き出すだろうと停電で真っ暗となり何もできない車内でまんじりともせず、過ごしていました。トンネルの中ということで、インターネットも繋がらず、外部の情報からも遮断されており、何よりトンネル内の東北新幹線は、全く揺れることもなく、その停止も非常に緩やかにスムーズでした。よもやあんな大地震がこの東北地方を襲っていたとは、夢にも思わず、車内の乗客も皆静かに時が過ぎるのを待っていました。

それが一変したのは、停止から約1時間後の車掌さんからの「先ほど発生した大地震により、東北地方が壊滅状態です。」というアナウンスでした。

そして、私はこのアナウンスを聞いた直後、真っ先に、家族に遺書を書いたのでした。

阪神淡路大震災の時大阪にいた私は、早朝激しくベッドに叩きつけられた強い縦揺れ、そして、その後続く大きな横揺れ、震災直後訪れた友人宅のある神戸西宮の凄まじい被害状況を実際目の当たりにしていました。

夜も明けぬ暗い中、「痛い。助けて!」と弱々しく叫ぶ人々の声を振り切り、避難場所に向かった友人が語る断腸の思いや、亡くなった知人達。

完全に1階が押しつぶされた家々、キッチンの大型冷蔵庫が隣の部屋に飛んでいき上下逆さまに立っていたという凄まじい縦揺れの一撃。大地震の凄まじさを実際に経験し、どんなに悲惨であるか知っていた私は、車掌さんがいう「東北地方壊滅状態」という状況が、一瞬にして想像できました。

「このトンネルはもうすぐ崩落する。いや、すでに出口は塞がれ、閉じ込められた。。。」

この時私が出来ることは、発見された時に私が誰であるか、どこに連絡すればいいのかを準備しておくことでした。

大量の名刺を身体の色々場所に忍ばせ、そして、家族宛に、現在の時刻、新幹線の名前、乗車している車両、座席をまず、記入した遺書を書くことでした。

当時生まれ育った大阪を出て、関東で一人暮らしをしていた私は、この出張は家族の誰にも知らせていなかったのです。会社でさえ、私がどの新幹線に乗っているのか把握していた訳ではありません。

生まれて初めての青森県、秋田県は、私にとって未知の土地でした。大阪人の私にとって、東北地方というのは、その位置関係さえ理解していないという場所でした。東京より北に行くなら北海道と、大阪にいた頃には、飛ばされてしまうところが東北地方でした。

東京で仕事をするようになって初めて福島県を訪問した時は、美味しいお蕎麦や、会津地方のすばらしい自然ときれいなお城、心温かなおもてなしにあっという間にファンになり、福島出張がとても楽しみでした。

福島県にしか走っていないというとてもクラシカルなタクシーです。

 

 

運転手さんも女性の方で、会津地方の歴史や、大阪との関わりなどをとても丁寧に色々教えてくれました。

その当時、私は薬機法のコンサルタントとして、東北6県(福島県、秋田県、青森県、宮城県、山形県、岩手県)の県庁より、薬機法のセミナー講師や、コンサルを依頼されており、初めて、秋田県へ向かう新幹線の道中で、あの東北大地震、後に、東日本大震災と呼ばれる未曾有の大災害に遭ってしまったのです。

秋田県への出張は、その前年に秋田県庁より依頼があり、決定していました。

3月というまだまだ寒さが厳しい時期ということで、当日の朝便の飛行機が欠航する恐れもあるということで、セミナー開催の土曜日ではなく、前日に飛行機で来てほしいとの依頼がありました。

県庁の担当者が、飛行機やホテルの手配など全て準備してくれ、連絡をくれていました。

しかしなぜか、本当になぜか、私は、直感的に得体の知れない思いにとらわれていました。

「飛行機で何かあれば、死んでしまう確率が高いから、新幹線にしよう。」と、せっかく準備してくれた飛行機を断って、「東北新幹線に乗った事がないので、前日にゆっくりと新幹線でいきます。」と担当者に伝えたのでした。

それでも何か、引っかかりを感じ、グズグズそのまま4ヶ月以上もチケットの予約もせず、とうとう、出張当日を迎え、これまたぐだぐだと会社に残り、慌て上野駅の新幹線チケット窓口に飛び込んだのです。

次回につづく。